どうも、コグレです。
忙しい忙しい言うのは情けないことなんだけど、僕の能力ではどうしようもないくらい忙しく、残業が続いています。僕だけではなく50人ほどいる課員全員が同じ状況です。
もくじ
なぜ忙しい?
なぜ今、僕の部署が忙しいかと言いますと、外部要因(金融庁etc)によるところが大きいです。加えて、社内で複数のプロジェクトが立ち上がっており、その対応もあります。
そんなこんなで、とにかく会議・打ち合わせが多い。日中に自身のデスクに着いていられる時間がほとんどなく、定時後から自分の作業を始めるという状況なのです。
コグレ
同じ時間外労働80時間でも労働の性質によってキツさは全く異なる
実際に過労死ラインと言われる時間外80時間を経験して思ったこと、それは同じ80時間の残業でも色々ある、ということです。
僕は前の部署でも、その前の部署でも80時間超の残業となってしまう時期はありました。しかし同じ残業時間でも、仕事の内容によって辛さが全然違うんです。
前の部署での残業は、精神的なプレッシャーはさほどなく、肉体的に毎日疲れているだけでした。当然、家と会社の往復状態になるので「あ~疲れた!」とはなりますが、「会社に行きたくない…」とか、「辞めたい…」とは思いません。
でも今の部署での残業は、労働時間の長さによる体の疲れだけではなく、うまくプロジェクトを纏められるか、プレゼンを成功させられるか…、といった精神的なプレッシャーも上乗せされています。こうなると、将来のことはどうでも良いから、「とにかく今、この状況から抜け出したい」というヤバイ発想が芽生えてきます。
「たくさん働いてお金ほしぃ」って思っていたのに、「お金は要らんから、平穏がほしぃ」に変わっているんです。
それでもこうして週末は休めていて、多少仕事のことが気になりつつもブログを書けているので、僕は全然まだまだ最悪の状況ではないでしょう。
しかしこれが、もっとプレッシャーのかかる状況で、更に残業時間も100時間、150時間と増えていったら、どうなるんだろうか…。完全に思考停止する未来が見えます。それはつまり、「とにかく今、この状況から抜け出したい」という防衛本能も働かなくなる段階です。
コグレ
人によってキャパシティも違うし、仕事の内容も違う
今の部署で仕事をしていて、こう思います。「あー、こういう状況で人は脱落していくんだなあ」と。
まず皆が忙しくて他人のことに構う余裕がない。これは仕方ない。
構う余裕がないから、他人の仕事を把握できない。これも仕方ない。
まして、他人のキャパシティなんて分かりっこない。やっぱり仕方ない。
これらは管理職がハンドリングすべきことなんだろうけど、当の管理職がぶっ倒れちまっているんだから、仕方ない\(^o^)/。
コグレ
世界に通ずるKaroshiについての考察
日本の不名誉なことの1つとして「Karoshi」が英語の辞書に載っているというのは有名な話です。
僕は、騒がれていないだけで、過労死的なものは日本だけでなく世界中で起きているんじゃないか、と思っているが、一方で日本(や韓国)での自殺発生率が突出しているのも事実なんだろうなあと思っています。
これは、なぜか?
明確なことは分かりません。
でも、学歴社会やお天道様の精神にあるように、他人との比較、人からの目線、それらがもたらす「相対で幸せを感じる社会・メンタリティ」に原因があるように思います。
そんな社会では、幸せの最大公約数的な「社会のレール」から外れる行為は周りから理解されず、実行しづらいのではないでしょうか。
コグレ
過労死ライン80時間の根拠は?
ところで、過労死ラインと言われている80時間の根拠はどこにあるのでしょうか?
これについては、厚生労働省の通達「基発第1063号」内に参考となりそうな文章がありました。
「過重負荷の有無の判断」という項目の判断基準の1つとして、以下のように書かれています。
発症前1か月間におおむね100時間又は発症前2か月間ないし6か月間にわたって、1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合は、業務と発症との関連性が強いと評価できることを踏まえて判断すること。
すなわち、体調を崩した場合に、1ヶ月前に100時間超の時間外労働、もしくは2ヶ月以上に亘り80時間超の時間外労働をした場合には、業務と病気発症の関連性が強い(=過労死認定)と判断できるということ。
ただし、過労死の認定は労働時間の長短のみではなく、周囲の状況、精神的側面など、様々な要素を加味して判定されます。
従って時間外労働80時間というのは、あくまでも1つの目安に過ぎないと言えそうです。
これからの心構え
ということで、来る本格繁忙期に備え、自分の中でデッドラインがどこにあるのか、整理しておこうと思います。もちろん、まだ辞めないで頑張ろうとは思うけど、死ぬほど頑張ろうとは思わないように、その見極めを頑張るということです。(もう訳分からん)
おわり