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何のために働くのか?働くことは偉いのか?

どうも、コグレです。今日は「働くこと」について自分なりの”現在の”考えをつらつらと書いてみたいと思います。

”現在の”と書いたのは、自分の中でも「働くこと」への考え方が年によって変わってきているので、今後また変わるかもしれないということを含意する趣旨です。

働く意味・必要性

「何のために働いているんだろう」と、考えこんでしまった経験がある方も多いと思います。

働く意味は人によって様々だと思いますが、僕は誰しもが、人のためではなく、自分のために働いているものと思っています。

多くの人の「働く理由」は以下に当てはまるのではないでしょうか。

  • 生活するためにお金を稼がなくてはいけない
  • 自己成長のため
  • 仕事が楽しいから
  • 家族に良い生活をさせてあげたい

これって、結局のところ全部「自分のため」ですよね?

最後の「家族に良い生活をさせてあげたい」は「家族のため」とも言えますが、しかし「自分で作った家族のため」ですから、そこには養う義務が生じており、その自らの負った責任を果たすためという意味では結局「自分のため」であると、僕は整理しています。

他にも、分かりやすい例で、「医療職」や「介護職」に就いている人で、「病気の人を助けたい」というのは「人のためでもあるけど、それは結局、自分のためである」と”僕は”思っています。

人助けをする動機は、人助けをすると気持ちが良かったり、気が晴れたり、自分にプラスの感情が生まれるからだと思っています。つまり究極的には自分のためだと理解しています。それ自体は全く悪いことでもなんでもなくて、言い方の問題なので気を悪くなさらないでください。

言い換えると、

「良いことをして気持ちよいと感じられる感性」を持っている人は(一般論として)素晴らしい人間であり、彼ら(彼女ら)が自分のために働くことよって、人助けに繋がっている。

こう、分解して考えています。

だから、人が働く意味は、「理由は色々あるけど結局は自分のため」であるというのが僕の到達した結論です。

働くことは偉いのか?働かない人間は悪いのか?

では、「働くこと=偉いこと」は正しいか・・・。

そもそも「偉い」という言葉の意味は、社会通念上、立派な行いをしている場合に使われるものと思います。

そう考えると、例えば自己成長のために働いている人は立派だと言えそうですから、「一生懸命働いて、偉いねえ」というのは、間違ってはいなさそうですね。

ただし「働くことが偉いこと」であるからと言って、「働かないことが悪いこと」とはなりません

ここに多くの人が陥る罠があるように思います。

働くこと=偉いこと ⇔ 働かないこと=悪いこと

が成り立つためには、

偉くないこと = 悪いこと

が成り立たないとなりませんが、これは間違っています。

偉くない(立派でない)は良いことではないですが、悪いことでもないのです。ボランティアをする人は立派ですが、ボランティアをしない人が悪い人かと言うと、そうでもないですよね。「偉い」、「立派」というのはそういう言葉です。

「一生懸命働いて、偉いねえ」という言葉を聞いて、「働かない人間はダメなんだ」と変換してしまっている人がいましたら、その論理展開は正しくありませんので、もう一度考え直してください。

他人に迷惑をかけるのは悪・・・?

「働かないことが悪いことではない」と書きましたが、ニートを擁護するつもりはありません。ただし、非難する理由も全くありません。

自分で稼いだお金でニート生活を送っているのであれば、それはリタイア生活と同じですし、「税金を納めていないから悪だ」と言う人がいるかもしれませんが、社会のルール(税法)に従っているし、そもそもニート生活を送れるほど働いてきたということはそれだけ納税してきたのでしょうから、二重の意味で的外れな非難だと分かります。

また家族に養ってもらっているニートについては、その家族が不満を持っているのであれば、その家族に限り非難をしても良いと思いますが、第三者があれこれ言う資格はないでしょう。ぶっちゃけ、社会に負担をかけているという意味では、第3号被保険者として納税せずに年金受給だけしている専業主夫(婦)の方による負担の方が重いですし。(これもルールに従っているから非難するつもりは毛頭ありません。ただの事実を述べているだけです。)

一応言及しておくと、生活保護の不正受給は言うまでも無く悪ですよ。不正なのですから。正しく受給している人は当然の権利です。

「勤労の義務」に書いてあるから仕方ないか・・・

ここまでツラツラと書いてきて言いたいことは、

  • 働くことは自分のため
  • 働くことは偉いことである場合もあるけれど、働かないことが悪いことではない

ということです。ですが、日本社会には「働かないなんて・・・」、「あの人、遊びまわっていて何してるのかしら」と、働いていないとオカシイ人間に見られる風潮があると思います。

僕は「変だ」と思いつつも、一方で日本社会がこういう考えになってしまっているのも無理はない、と思っています。

だって、「国民の三大義務」に

  1. 教育の義務(26条2項)
  2. 勤労の義務(27条1項)
  3. 納税の義務(30条)

と思いっきり、勤労が義務であると書いてありますから

僕も日本社会に生まれ、日本社会のお陰で生きてこられたという自覚はあります。ホッブスの言う自然状態に生まれたとしたら不幸になっていたと思います。ですから、日本社会の掟に従わざるを得ないと思っています。

しかし日本国憲法に定められた「国民の三大義務」には違和感を覚えます。

そもそも勤労の義務とは言っても、罰則規定はありません。罰則規定がないのにわざわざ定めるということは、意図的に社会通念上の倫理観を国家が作り上げようとしているからに他なりません

冷静に「国民の三大義務」を見てみると、「よく学び(生産性を向上させ)、よく働き、そしてたくさん納税せよ」と言っているのです。これって、すごくないですか。思いっきり社会主義的発想です。

国民は総てプロレタリアート(労働者)でいるべし = 資本家になるな

ということですよね、これ。

不労所得で生活しちゃダメなんですよ。

皆がこの考えを受け入れられるなら、「働かないことは悪」、という考えをするのも仕方がないのかな、と思う今日この頃です。

コグレ

僕は改憲するなら憲法9条じゃなくて、ここを変えてほしいなあと思ったりします。

科学技術の発展でなぜ労働時間が短くならないのか

ところでこのように思ったことはないでしょうか?

「何で技術が進歩しているのに、労働時間は短くならないのか・・・?」

理由は単純です。あなたがプロレタリアート(労働者)だからです。

技術の発展によって仕事が効率化しても、その恩恵を得るのは資本家であって、労働者は資本家の有する会社との間の労働契約に基づき、別の仕事をさせられるだけなのです。

だから富める者(資本家)はより富み、労働者はいつまでたっても長時間労働をさせられるだけなのです。

「国民の三大義務」は、資本家たちが自分達だけが甘い汁を吸い、プロレタリアートを大人しく働かせるための標語だったのかもしれません。

コグレ

僕は素直にそれに従い続けようとは思いません。

昔に比べてお金がなくても楽しめる世界になっている

すみません、なんだか話が壮大になってきていました。

ところで、上で「技術が進歩しているにも関わらず、労働時間が短くならない。」と書きました。

労働環境の面で言えば技術進歩は労働者に恩恵をもたらしていない訳ですが、一方で私生活においては十分な恩恵をもたらしてきたと思うのです。

とりわけ、やはりインターネット技術の発展は革新的です。

インターネット技術の発達と普及のお陰で、お金を持たなくても楽しめる世界になっているように思います。昔であれば外出しなければ新しい刺激を得ることはできないし、当然お金を稼ぐこともできなかった訳ですが、今は月々僅か数千円のお金でネット環境を整えてしまえば、ブログやYoutube等など、豊富なコンテンツを楽しみ、資本がなくても様々なお金を得る手段があります。

すなわち、資本家の力に頼らず、労働者(被使用者)から脱出し、かつ娯楽に興じるために必要なお金を稼ぐことが容易になってきているのです。

こうした大きな社会変化を踏まえると、ますます「今までと同じ働き方が最適なのか」、と考えてしまいます

というか考えるべきだと思います

まとめ

以上、「働くこと」について思っていることを雑然と書いてきました。

  • 働くことは誰しもが自分のためであり、あれこれ意味を求める必要はない。
  • 働かないことが悪いことであるはずはない。
  • だけど「勤労の義務」のお陰で、働いていないと白い目で見られるのは避けられない。
  • 一方で「勤労の義務」を果たしていても、得られる恩恵は資本家のそれと比べてずっと小さい、もしくは無い。
  • 現代は低コスト社会になっており、また労働者からの脱出も容易になっている。
  • これだけの社会の変化にも関わらず最適な「働き方」・「働く必要性」が変わらない筈がない。

というようなことを言ってきたつもりです。

僕は、働きたくないし、低コスト人間だけど、社会の目も気になってしまうし、資本家サイドに周りたい欲求もあるので、そのあたり全ての折り合いをつけて「40代前半までに1億ためてセミリタイア」という結論を導き出し、現在はその実現に向かって邁進しております。

おわり

遊んで暮らしたいと真剣に思う。そして、不可能じゃないと思っている。 20代の僕が考える40歳セミリタイアの具体的プラン【計画・計算】